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Channel: 神戸・元町からの気まぐれ日記
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地下鉄サリン から

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世界初のバイオテロ。22年前の私はこの時、神戸市東灘区役所で支援活動をしていた。

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私が一番に覚えた地名は「深江」だった

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機能改善運動

地価公示、その対局

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八郎潟の干拓によって造られた村、それが大潟村だ。この事業が行われていた頃、私は小学生だった。1964年10月1日に村が発足している。東海道新幹線が営業運転を始めた日と同じでもある。

 新しい型式の農村を開発して、大規模農業を本格的に行うモデル農村となった。農家一戸あたりの水田は10haである。大型機械を導入して、住宅を1か所にまとめ、農場には自動車で出かける生活をパターンとする近代的な大規模農業経営が進められた。

減反政策

1970年(昭和45年)からの減反政策により国は米作りから畑作への転換を推奨した。国は大潟村にも米作りから畑作への転換を迫ったが、大潟村は干拓後間もない地域で水はけが悪い土地であった。水田に適しており、畑作に向かない土地だった。米作りのエリートの誇りがあった「ヤミ米派」と、国の方針に従う「順守派」に分かれて対立したが、1995年(平成7年)の食糧管理法の廃止で自由にお米がつくれるようになった。全財産を処分することを条件に入植した農民の中には、経済苦から自殺者も多数出現した。離農も相次ぎ、また、残留して非正規流通米を生産し続ける農家も居続ける。2009年平成21年)の民主党への政権交代後は、米粉のかたちでの生産を許容してはいるが、日本の減反政策の犠牲になったモデル地区であり続けている。国はコメ作りのために行った大規模事業なのに、コメを作るな、と農家に迫ったのだ。

コンビニ誘致へ予算計上 秋田の大潟村、選定委で決定へ

 秋田県大潟村の3月議会で、38億6700万円の新年度一般会計予算案など30議案が可決された。予算案には、村で初めてとなるコンビニエンスストアを誘致するための関連予算322万円も含まれており、公募に応じる業者が現れれば、来春までにコンビニができる見通しになった。

 村の計画では、道の駅おおがたに隣接する村有地約500平方メートルを整備し、コンビニを経営する村内の法人に年間30万円で貸し出す。4月~6月末に法人を公募し、法人側は契約するコンビニチェーンや、今後5年間の収支見通しなどの事業計画を提出する。これを踏まえて、村は7月に選定委員会を開き、土地を貸す法人を決定するという。

 同村では10年前にも、コンビニ建設計画が浮上した。JA大潟村がコンビニ建設に動いたが、「コンビニ経営で利益が出せるのか」など組合員の反対があり、断念した経緯がある。

 しかし2015年夏、村が今後の村づくりの計画を策定するために村民アンケートをとったところ、「夜間、お金を引き出すために村外まででかけないといけない」などと、コンビニを求める自由記述が多くあり、誘致に向けた検討を進めていた。村は「遅くとも来年3月までにはコンビニを開業してもらいたい」としている。

コンビニの誘致を公費で行う、というのは日本で初めてではないか。コンビニ側は利益が出るところなら、勝手にできてしまう。それが商売というものだろう。一昨日に発表された地価公示で、大阪のミナミ一帯の商業地は40%前後も上昇している。外国人観光客の激増が一番の要因とのことだ。

過疎と都心部への二極化がますます進んでいる。自宅から徒歩2分程度にコンビニがあるのは、高齢者や障害者にとてもコンビニエンスだ。近くなら宅配もしてくれる。冷蔵庫も要らない。












古代ギリシヤ文化

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前4~前3世紀 鋳造技術によるリアルな人体表現
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芸術と言えば音楽を思いつくという人も少なくないだろう。ミュージック(music)は日本人にとって大変なじみ深い言葉となっているが、その語源はギリシア神話のミューズ(ムーサ) に遡る。すなわち、「ミューズの恩寵にあずかる人間の営み」(音楽、詩作など)を意味するギリシア語ムーシケー(mousike)がその語源である。
 一方、「博物館」を意味する museum も、「ミューズの神殿」を意味するギリシア語ムーセイオン(mouseion)からできた語である。また、英語で art museum といえば「美術館」のことをさすが、この表現も当然ミューズと間連している。つまり、日本語の「音楽」(music)、「博物館」(museum)、「美術館」(art museum)という三つの言葉は、いずれも対応する英語の表現で比較した場合、共通の語源を持つことが明らかである 。
 

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手持ちの文庫本、全てを処分したよ

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どんなに好きだった文庫本であっても、いまや文字が小さすぎて、読めない。部屋が手狭になったわけでもないが、もう絶対に読み返さない書籍類を自宅等に保管している意味はない。もし、読みたくなったら、公共図書館にでもいけばよいだろう。電子書籍もあることだし。

神田の古書店はいまどうなっているのかな。初版本にはやはり破格の価値があるのだろうか。

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喉の痛みが続くよ

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熱はないけど、喉が痛くて、近所の耳鼻咽喉科で診てもらった。鼻の穴からカメラを入れてのどの奧まで撮影したから、診療代は少し高かった。風邪薬と併せて抗生剤を処方されたけど、早くよくなってほしいよ。

神戸ファション美術館 4月15日~


元町3丁目 「喰らうどん」さん

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尿酸値、気をつけてね。

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暖かい日でした

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タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)による

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1929年3月31日に生まれた

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世界大恐慌の年に生まれ、日中戦争→第二次世界大戦の時代を経て子ども3人を育てた。ロシア革命100周年の今春、大地へ還ろうとしている。
自分の人生を元号で呼ばす、世界史のなかで生きてきた希有の庶民でした。

そして、今朝の3時頃、韓国の朴元大統領が逮捕された。Ex-South Korean president Park Geun-hye arrested in corruption probe.


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大地へ還る 3月31日 21時30分

朝のサクラ

抜歯

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キシロカインの効きが少し悪かったので、抜歯の途中でも麻酔薬が追加された。「親知らず」は以前に抜歯したが、正常だった歯を歯周病で抜歯したのは初めてだ。80-20というが、まず80歳まで生きていないと、これは達成できない。
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わたなべ


私大生の仕送り、15年連続で減少 可処分所得は低下し続けている

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学生ひとりあたりの生活費 
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以下のような新聞報道があった。

 東京地区私立大学教職員組合連合は6日、首都圏の私立大に2015年春に入学した下宿生への仕送り額(6月以降の月平均)が前年度より1800円少ない8万6700円で、15年連続で減少したとの調査結果を発表した。ピーク時の1994年度(12万4900円)に比べ約3割減少しており、86年度の調査開始以来、過去最低を更新した。
 下宿生の保護者の平均年収は1.4%増の900万9千円。ただ、13年度に比べると5千円減っている。東京私大教連は「年収が伸び悩み家計は苦しく、仕送りが減っている」と指摘する。
 家賃平均は前年度比400円減少の6万1200円。仕送り額から家賃を差し引いた生活費は1日850円と、前年度から47円減少し過去最低を更新した。東京私大教連は「学生がアルバイトをせざるを得ず、学業にも影響が出ている」と指摘し、無利子奨学金を希望者全員が受給できるようにすることなどを国に求めた。
 入学費用の借入額は2万3千円増の183万円と過去最高となった。調査は昨年5~7月、東京、神奈川、埼玉など1都4県の16大学の自宅生を含む新入生の保護者を対象に実施した。有効回答は4568人だった。

 850円では、3食に各300円以下となってしまう。これはもう貧困だ。部活も楽しむどころではない。私事で恐縮だが、首都圏ではないものの、学生寮に入って住居費は事実上0円。奨学金が月額1万円、授業料免除だから、チョコチョコとバイトをすれば、仕送りナシで生活できた。40年ほど前のことである。
 授業料だけで年額100万円ぐらいかかるのが今のご時世。やっと卒業しても、学歴に見合った仕事などどんどん減っている。司法試験にやっと受かっても、東大・京大、早慶・中大などの上位校の法科大学院で上位5%程度しか、まともな仕事はない。国選弁護人など昔はカスの仕事だったが、いまは競い合っている。

これがアベノミクスというの。

 

地下鉄のエレベーター内にて

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写真は別人です。
地下鉄のエレベーターはめったに使わないけど、たまたま停車した前にあって、開いていたのでこれに乗った。案外狭くて7、8人でいっぱい。ママにダッコされた娘さんと眼が合ったので、「お母さんに似てベッピンさんやね」といったら、にっこり。一言でふたりを褒める高等話術でした。

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真央ちゃん、おつかれさまでした

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「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」(原文のまま)


Mao Asada, born September 25, 1990) is a former Japanese competitive figure skater. She is the 2010 Olympic silver medalist, a three-time World champion (2008, 2010, 2014), a three-time Four Continents champion (2008, 2010, 2013), and a four-time Grand Prix Final champion (2005–06, 2008–09, 2012–13, 2013–14). She is the only female figure skater who has landed three triple Axel jumps in one competition, which she achieved at the 2010 Winter Olympics.
Asada is also the 2005 World Junior champion, the 2004–05 Junior Grand Prix Final champion, and a six-time Japanese national champion (2006–2010, 2012–2013).
She held the world record for the ladies' short program score, until the record was broken by Evgenia Medvedeva in the 2016-17 Grand Prix final.[11] A former prodigy, Asada is the fifth woman and the first junior girl to land the triple axel, accomplishing this feat at the 2004–05 Junior Grand Prix Final. She won her first Grand Prix Final at the age of 15. Considered by many to be the best figure skater in the world at that time, Asada was 87 days too young to compete at the 2006 Winter Olympics. She is the first figure skater in a singles discipline from Asia to win multiple world championships. At the 2013 Skate America, she became the first singles skater, male or female, to win all seven of the current events on the Grand Prix series.[13] She currently holds 15 Grand Prix series titles – the most among active singles skaters and third all-time behind Evgeni Plushenko and Irina Slutskaya.[14] She is one of the most highly recognized athletes in Japan.[15

うどん 製麺機

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“讃岐うどんの近代史”は「足踏み禁止」から始まりました。
昭和40年(1965年)本場讃岐に大事件が発生!
永い歴史を伝承されてきた讃岐うどんの名声も、今でこそ当然のように思われていますが、この繁栄の陰にはとんでもない事が起り、逆にその事が現在の大発展に繋がったという『讃岐うどんの近代史』をご紹介します。
http://www.menki.co.jp/kindaishi/ashifumi1.jpghttp://www.menki.co.jp/kindaishi/ashifumi2.jpg●昭和43年頃の「足踏み風景」
(25kgの小麦粉を担ぎ足踏みしている)
当時は、大量にそして短時間に製麺する為自分の体重を重くして足踏みする光景が多くみられた。

また当時は家内労働が主であり、女性や子供はリュックサックに本等を入れ自重を重くして作業をしていた。非常に重労働でした。

今から45年前(昭和40年)、香川県に於いて讃岐うどん製法の最も重要とされる「足踏み」を禁止するという大問題が発生しました。
何故、大切な足踏み作業が禁止されたのかと言うと、当時県外より多くの投書が寄せられ、その足踏み作業の『不衛生さ』が指摘されたのです。

県としては将来の讃岐うどんの発展の為にはどうしても必要な処置との事で昭和43年1月の県議会で『足踏み禁止』が決議されました。
当時、香川県と高松保健所から弊社(さぬき麺機㈱)に依頼され開発した「足踏み代用機」は永い伝統と歴史を持つ「讃岐うどん製法を機械化」したもので、地元の麺業者からはその“機械化に大反発”を受けましたが、“香川県が禁止を強行した事が今の繁栄につながった事実”を是非知って頂きたいと思います。

全ての事業所が不衛生な状況で無かったにしても、確かに大半はその指摘を受けても仕方ない状況であった事
から“足踏み禁止が実現”し、本場讃岐も以後機械化の道を歩んできました。

結論から言いますと、その「足踏み禁止」こそが「手打ち職人代用機」を誕生させ、その優れた性能により、全国に『讃岐うどんの大ブーム』を巻き起こし、『冷凍讃岐うどんの大ヒット』を生む等、讃岐うどんの今日の名声に大きく貢献する事となったのです。そして、その讃岐うどん用製麺機の機械化が進むにつれ、日本の麺業界に最高品質を芽生えさせ『製麺技術の革新』にも大きく貢献してきたのです。
           ●日本の製麺技術では・・・・・ 讃岐うどん(手打ち)製法 = “最高品質”を意味します

http://www.menki.co.jp/kindaishi/ashifumi3.jpghttp://www.menki.co.jp/kindaishi/yajirushi.jpg
 
 
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古来より伝承の讃岐うどん製法の根幹とも
言われる足踏み作業
このロールの凹凸により、麺生地が揉みほぐされ足踏みに匹敵する
コシと粘りを実現(特許を取得)

今、誰の話にも『足踏み』は、うどんのコシを強くする絶対的なものと言われています。しかし、機械化してもそのコシの強さは変わりませんでした。
何百年も続いた讃岐の製法を機械化すると言う「とんでもない事」が、実際には当初の目的であった『食品衛生』を達成した事より、今で言うと『抜群の省力化』を実現した事の方が“大きなメリット”でした
その省力化の要求は、小麦粉を練る事から麺棒延ばし、包丁切りまでの全ての工程を要求され、さらに全国の製麺業者からは量産化を求められました。

その様な中、大阪万博が開催された1970年(昭和45年)に『讃岐うどんの第一次ブーム』が起りました。
当時は日本の経済が急成長する中『脱サラ・転業ブーム』が起り、独立開業者が続出する時代でもあったのです。
その開業希望者の夢を叶え、素人でも簡単に讃岐うどん専門店経営を可能にしたのが『さぬきの手打ち麺機』でした。

常識的には讃岐うどんとなれば手打ち職人が必要ですが、“全く未経験者でも「本物の讃岐うどん」が提供できる”という、“まさに夢の製麺機の登場”『第二次讃岐うどんブーム(1976年~)』の原動力ともなりました。

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≪その頃より、続々開業した本場讃岐の有名店≫
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現在も足踏みは禁止なのかとの質問をよく受けます。
保健所に問い合わせると、45年も昔の事なのでその事実をはっきり説明できる人がいませんが、現在製麺業を始める場合は「製麺機」の使用が義務付けられており、一般のうどん店に対しては明記されていません。そこで、当時を振り返りたいと思います。

『足踏み禁止』が指摘された頃は香川県内に500軒ほどの製麺業者があり、殆どのうどん店はその製麺業者から配達されたうどんを客に提供していたのです。

従って足踏み禁止の対象者は約500軒の製麺業者であったので、全ての讃岐うどん製造者を対象とされた事となり、今に至ってもその禁止については全てに適用されると言う人も多いのです。
現在ではその製麺業者は70~80軒ほどに減少し、中には「製麺所タイプのうどん店」として生き残り、繁盛店も多く見受けられます。

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≪ここ近年開業した全国各地の有名・繁盛店≫
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日本の外食産業は『讃岐うどんの第一次ブーム』が起った1970年から全国に大発展して行きますが、当時スカイラークやマクドナルド等のファミリーレストランやファーストフードの店などが開業し、日本に洋食の文化を拡大して行きました。
その『第一次讃岐うどんブーム』が起る前の香川県内には、うどんの専門店は殆どありませんでした。

「讃岐には、うどん屋が電信柱の数より沢山ある」と言われた時代、確かに3000軒ほどもあったと言われる讃岐うどん店は、製麺所よりうどん玉を仕入れて客に提供するという『食堂』であったのです。
そこで、店内で麺打ちから包丁切りまでを実演し、茹で上げ直後の最高に美味しいうどんを提供する「専門店経営」は本場の香川県内でも、1970年(昭和45年)の大阪万博以後の事で、まだ40年の歴史しかありません。
今では700~800軒あると言われる本場讃岐のうどん店も、全国にあるうどんそば店もその専門店の歴史は意外と浅いのです。

今では本場讃岐を始め、全国の『手打ちうどん・そば店』の多くに製麺機が使用されています。
“手打ちに対するこだわり”は否定しませんが、「正しい手打ち製法」を学び忠実に工程を守ることで、今では手打ち職人を不要とした繁盛店が続出し、製麺機無くして専門店の開業は出来ないと言っても過言ではない時代となっています。

その様に、讃岐うどんの「足踏み禁止」により誕生した製麺機が全国の手打ちうどん・そば・ラーメン店、そして製麺業界の品質の技術革新や量産化、冷凍讃岐うどんの大ヒットに貢献する等、まさに“日本の麺業界を一新”し、日本全国に最高品質と言われる麺を提供する事となったのです。

いわゆる『讃岐うどんの近代史』は、“日本の麺業界全体の近代史”でもあるのです。

日本古来の手打ち技術を機械化し、機械麺から手打ちへ麺とグルメの時代を築き、日本全国はもちろん世界に日本の製麺設備と製麺技術を広める原動力となったのも
“すべては『足踏み禁止』から始まった“のです。

■ 今 で は 製 麺 機 も こ ん な に 進 化 し ま し た ! ■
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終わりに
その後全国に何度ものブームを巻き起こした『讃岐うどんの美味しさと名声』は海外にまで広がり、現在(2010年)では世界に通用する強力ブランドに成長しました。
しかし残念な事に、この本場讃岐のみならず全国でそのブランド名を欲しいままに利用し、粗悪でとんでもない『讃岐うどん』が続出しています。
(土産物・贈答物も含みます)

私は、この本場讃岐に於いて「近代史の史実」を知る人が殆どいなくなり、「讃岐うどんの表示問題」も正しく理解している人が少ない事が今後のさらなる発展を妨げる事になるのではないかと非常に懸念しています。

近年の大ブームをもたらせた書籍「恐るべき讃岐うどん」での紹介、「はなまるうどんの100円うどん」の大ヒットなど、また本場讃岐のプライドと責任感を背負い、頑張る地元の多くの麺事業者の方々の努力により『讃岐うどん』はゆるぎない地位を築けたと思います。

現在、讃岐うどんのブランド力の恩恵を受けている人は沢山いますが、数百年伝承された伝統の技術、そして大発展の原動力となった『讃岐うどんの近代史の史実』を知って頂き、一歩一歩積み重ねてきた信用と「正しい讃岐うどん製法」を守り、本場の苦労とまじめに取り組んでいる人達の努力を真剣にとらえて頂ければ幸いです。
ご一読頂けた皆様のご繁栄とご発展を心よりご祈念申し上げます。
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イスラム国を支援しているのは、だれ

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「イスラム国は、あと5年はもつでしょうね。下手すりゃ10年いきますよ。だってあれは誰にとっても都合のいい存在ですから。この辺の事情は現地では常識ですけど、日本人は意外と知らないみたいですね」
中近東の専門家で、今もペルシャ湾岸に駐在している日本の商社マンの言葉である。資金源も乏しく、空軍力や近代兵器も持たない盗賊集団のようなイスラム国を、なぜアメリカは殲滅しないのか。疑問に思っている人は多いだろう。アメリカの軍事力をもってすれば、そんなことはいともたやすいはずである。その理由についての有力説は、中近東にイスラム国という不安定要因を残したままにして、イランなど周辺国が彼らとの恒常的な戦いで消耗する状態を継続させるのがアメリカの真の狙いだというものだ。

イスラエルの狙いとは?

2006年3月に、シカゴ大学とハーバード大学の研究者が発表した「イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策(The Israel lobby and U.S. foreign policy)」という論文(2007年に書籍化され、同名の邦訳版もあり)を読むと、その辺の事情がよく分かる。アメリカの中東政策は、正義のためでも、人道のためでもなく、イスラエル・ロビーによって決められているという内容だ。そして彼らイスラエルの狙いは、周辺アラブ諸国(特に、イスラエルが最も警戒するイラン)を弱体化し、国の安全保障を確保することだ。
「泣く子も黙る」最大・最強のイスラエル・ロビーは「アメリカ・イスラエル広報委員会」(略称AIPAC)だ。ワシントンの国会議事堂近くに100人以上の職員と全米に10万人以上の会員を有し、年間2,000回以上国会議員と会い、100以上の親イスラエル法案を支援している。
日本では創価学会や日本医師会、日本遺族会などが収票力によって、政治に影響力を行使する。AIPACも、親イスラエル議員には資金援助や投票を呼びかけ、反イスラエル議員を徹底的に攻撃する。

かつてキッシンジャー国務長官が中東和平を画策したとき、イスラエルが非妥協的で協力しなかった。これを民主党のチャールズ・パーシー上院議員(イリノイ州)が厳しく批判したところ、たちまち彼の事務所に親イスラエル選挙民から4000通の抗議文と2000通の抗議電報が届き、各地で追い落とし集会が相次いで開かれ、1982年の選挙でついに落選させられた。
アメリカがイスラム国を好ましいと思う理由はもう一つある。軍需産業である。大規模な紛争があることは、アメリカの軍需産業にとってつねに望ましく、中近東では1948年に勃発した第一次中東戦争以来、第二次~第四次中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸紛争、イラク戦争と、10年に一度は大きな紛争が起き、軍需産業が売り上げを伸ばす機会を提供してきた。
戦闘機から発射されるミサイルは一基数千万円~1億5000万円、軍艦・潜水艦から発射されるトマホークミサイルは一基1億5000万円くらいする。イスラム国が存在するかぎり、彼らは商売繁盛なのだ。そしてイスラエル・ロビー同様、軍需産業はアメリカの議員に多額の献金をしている。イスラム国との戦闘において、アメリカは2003年のイラク戦争のときのように陸上部隊を派遣せず、主に空軍による支援をしている。
これは軍需産業から見ると、陸上部隊の駐留経費に莫大な税金をかけてもちっとも儲からないのと違い、空軍がミサイルや爆弾をどんどん投下してくれるので、理想的なパターンである。

イランを弱体化させたいという思惑

イランを弱体化しておきたいのは、イスラエルだけでなく、サウジアラビア、クウェート、UAEなどGCC(湾岸協力会議)6カ国も同じである。1979年にイスラム革命で成立した現在のイランは、シーア派革命の輸出をもくろむ地域の大国で、人口や軍事力もはるかに小さく、宗派も異なるスンニ派の湾岸諸国は常にその影に怯えてきた。そもそも、1981年にGCCが設立された際の主要目的の一つが対イラン防衛だった。GCC6カ国は表向き対イスラム国有志連合に参加しているが、(政府か個人かは定かではないが)それらの国々からスンニ派のイスラム国に相当な資金援助が流れている、と現地ではいわれている。
さらにトルコにとってもイスラム国は都合のいい存在である。こちらはクルド人問題の関係からだ。トルコは国内に千数百万人のクルド人を抱え、1923年の共和国建国以来、シリアやイラクのクルド人と連携した彼らの分離独立運動やテロに頭を悩ませてきた。男子皆徴兵制を持ち、65万人の兵員を擁する中近東屈指の軍事大国であるトルコが本格的に参戦すれば、イスラム国など簡単に壊滅できるが、アメリカ主導の有志連合に名前を連ねてはいるものの、先月まで空爆に参加せず、国内の基地使用も許可していなかった。
それはクルド人問題があるからだ。シリア北部でイスラム国と戦っているのは、アメリカなどが支援するクルド人組織・民主連合党(PYD)だが、彼らが勝利してイラク北部のように自治権を獲得したりすると、クルド人が多く住むトルコ南東部の分離独立運動に発展しかねないとトルコ政府は警戒しており、むしろ彼らがイスラム国との戦いで疲弊するのを望んでいる。
以前、山口組系暴力団後藤組(静岡県富士宮市)の後藤忠政元組長の著作を読んだとき、警察が暴力団を殲滅しようと思えば簡単にできるが、あえてそれをやらないのは、暴力団の存在が警察にもメリットがあるからという趣旨のことが書いてあった。
イスラム国とアメリカ・中近東諸国も、実は似たような関係なのだ。ただし去る7月に、トルコ南東部でイスラム国によると見られるテロが起き、連立政権に対するクルド人有権者からの批判が強まった。これを契機に、トルコ政府は空爆参加と有志連合の基地使用許可に踏み切っている。このように、この種の“均衡”は、様々な要因の変化で崩れる可能性があることは留意を要する。
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