あと二ヶ月ほどで、恩赦が行われるようだ。恩赦は26年ぶりだし、関心もあまりなかったが、調べてみると「かなり巧妙な仕組み」となっていた。恩赦のことは「恩赦法」に定めているが、その根拠は憲法に明記されている。
- 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
- 外交関係を処理すること。
- 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
- 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
- 予算を作成して国会に提出すること。
- この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
- 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
恩赦は、行政権が司法権の独立を侵害し、三権分立を定めた日本国憲法に違反するので「違憲」である、との論法は展開できない仕組みとなっている。つまり、恩赦法の存在そのものが違憲だ、と提訴できない。こうした背景があって、恩赦を否定する訴えや考えは、厚いカベに阻まれてしまうのだろう。恩赦に対するあらゆる批判は「菊の御紋」と対決しなければならない。法的な手続きをまともに踏むなら、まず日本国憲法を改正し、恩赦法を廃止しなければならないのだろう。
恩赦は、司法が確定した刑罰を「天皇の御心」で軽減等させるところが核心で、結果として天皇の超越性や超法規的存在としての神格性を高めるものとなっている。これをどうやって突破していくか、だ。