「金30個取れなければクビになる人出る」 遠藤五輪相
■遠藤利明五輪担当相
新国立競技場は、積み上げていって1640億円まできた。前日に総理の所に行って「1640億円、どうでしょうか」、(安倍晋三首相が)「もう一声ないか」。バナナのたたき売りじゃないが、1500億円台だと、何とか皆さんに納得して頂けそうだと。
私は(金メダルを)30個取れと厳命している。取れなかったらクビになる人が出ると思っているが、そのくらいの気持ちがないと。どこかの政党じゃないが「2番でいい」なんて言っていたらダメだ。10月にはスポーツ庁もできる。長官(人事)の話は大体頭にあるが、言うと書かれるので今日は黙っているが、大体この人がいいな、と今思っている。(山形市の自民党山形県連会合で)
1936年8月の2週間、夏季オリンピック大会の開催中、アドルフ・ヒトラーのナチス独裁政権はその人種差別主義、軍国主義の特性を隠蔽していた。ナチス政権はオリンピックを利用して、平和的で寛容なドイツのイメージで多数の外国人観客や報道記者を惑わせた。1931年、国際オリンピック委員会は1936年夏季オリンピック大会の開催地をベルリンに決定した。2年後、ナチ党の最高指導者アドルフ・ヒトラーがドイツの首相になる。1936年ベルリンオリンピックのボイコット運動がアメリカ、イギリス、フランス、スウェーデン、チェコスロバキア、オランダで表面化した。多数の国のユダヤ人選手が個人的にベルリンオリンピックをボイコットした。しかし、米国のアマチュア体育連盟が1935年12月に参加に賛成投票すると、他の国も同調し、広範なボイコット運動は衰退した。
ナチスは8月1~16日の夏の大会に向けて周到な準備をした。巨大なスポーツ複合施設が建設され、オリンピックの旗とかぎ十字がベルリンの記念碑や家々を飾る。大半の観光客はナチス政権が反ユダヤ人の看板を一時的に除去したことに気づかず、ベルリンのロマ族を警察が一斉検挙したことも知りません。また、ナチス高官は外国人訪問者はドイツの反同性愛法の刑事罰の対象外であると命令した。
1936年8月1日に、ヒトラーは第11回オリンピックを開会した。新しいオリンピックの儀式にのっとり、古代オリンピックの開催地であるギリシャのオリンピアからリレーで運ばれてきた聖火を持つ一人のランナーが到着した。これまでのオリンピックより多い49の競技チームが世界中から集まり、ベルリンオリンピックで競争した。ドイツは選手348人の最大のチームを出場させた。2番目は、18人のアフリカ系アメリカ人を含む312人の米国チームでした。ソ連はベルリンオリンピックに参加しなかった。
競技のイメージはナチスドイツと古代ギリシャを関連付け、優秀なドイツ市民は「アーリア人」文化の正当な継承者であるというナチスの人種的神話を象徴するもの。一丸となったプロパガンダはオリンピック後も続き、1938年にはドイツの映画制作会社とナチス支持者レニ・リーフェンシュタールが監督し、議論を呼んだドキュメンタリー「オリンピア」が国際的に封切られました。ドイツは第11回オリンピックから勝利者として姿を現しました。大会後報告書が新聞社に送られ、ヒトラーはドイツ拡大のための壮大な計画を強力に推し進めました。ユダヤ人の迫害が再開されました。オリンピックの2日後、オリンピック選手村の所長、ウルフガング・フルストナーはユダヤ人の子孫であるという理由で軍を退役させされ、自殺しました。
スポーツの大会ではなく、国威発揚と各種の巨大利権の巣窟となりはてたオリンピックを、世界のアスリートたちは参加拒否しよう。シンボルマークすらパクリの疑惑が大きい。
「金メダルをたくさんとった国がエライ」という考えは、自民党政権が忌み嫌う中国が最も体現している。
昨日、国会周辺らへ結集した巨万のみなさん。安保法制反対とオリンピックボイコットを連動させよう。60年安保・70年安保を闘った世代の方々、もうなくすものはないではないか。新しく勃興してきた若者世代らと連帯し、安倍政権を打倒しよう。