連合赤軍のメンバーたち
連合赤軍幹部として山岳ベース事件に関与。1972年2月19日に警察の手から逃れるために仲間4人とともにあさま山荘事件を起こすが、2月28日に逮捕される。あさま山荘事件を起こした5人の中では唯一の赤軍派出身であった。事件中に父親が自殺している。
坂東の生まれた家 石山駅前
日本赤軍参加後は同組織最高幹部である重信房子の側近となった時期があり、重信を「敬愛する司令官同志」と表現したパンフレットの作成[]、また日本赤軍からの脱退届を提出した和光晴生に対する査問会議の議長を務めるなどした。 その重信が2001年に日本赤軍の解散を宣言した直後に大道寺あや子とともに「日本赤軍解散宣言無効宣言」を表明した。
現在も連合赤軍事件だけでなく、日本赤軍としてダッカ日航機ハイジャック事件に関与した罪も加わり警察庁に指名手配中であると同時に国際指名手配されている。公安当局によると、坂東は基本的に中東に拠点を置き、中国・ルーマニア・ネパールでの入国の形跡が確認されているが、詳細な消息及び現在の生死は不明である。
わたしは、この「あさま山荘事件」の直後に、大学の春休みを利用して、本土復帰直前の沖縄をひとり旅した。石垣島には旅館・民宿の類もなくて、那覇港から乗船したオンボロ客船の船長さん宅へ泊めていただいた。いまや俗な観光名所となりはてた川平湾だが、当時、私はひとりで湾内の素潜りを楽しんだ。
施政権はアメリカ。本土から沖縄へ渡航するには、特別なパスポートが必要だった。