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Channel: 神戸・元町からの気まぐれ日記
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存在が意識を規定する

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マルクスのこの言葉は『経済学批判』序言とよばれる文章の一節です。
その箇所を実際に読んでみましょう。もとの文章にあたるのが一番です。

「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」

かんたんにいえば、経済が土台になっていて、それをマルクスは「人間の社会的存在」とよび、法律とか政治とか文化とか宗教といった、上部構造は、その土台から派生する「意識」だとみなしている、ということです。

たとえば、宗教のようなものの発展が人間の歴史の根本を形づくっていて、経済はその発展にあわせるように形をかえるんだ、という立場があります。後年、マルクスに対抗意識をもやしたマックス・ウェーバーなどは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でこれに似たことを言いました。

マルクスは、資本主義のような経済関係がうまれるなかで、中世的なカトリックが攻撃され、新興ブルジョアジーの利害を代表したプロテスタントが勢力をのばすようになった、というふうに、究極的には経済に規定されているとみなしました。

これが「社会的存在がその意識を規定する」ということの意味です。もとの文の前後をきちんと読めば
、それ以外のことは意味していないことはおわかりいただけるでしょう。

※余談ですが、レーニンが『唯物論と経験批判論』という本のなかで、マルクスの「社会的存在」と「社会的意識」について詳しい解説をしているのです。


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